思考

不確実性を楽しめる人生を


はいさい、ゴールドコーストのち沖縄で移住生活をしているシスヤです。

 

nextir35さんのブログ「正道を外れたから金持ちになれたのかもしれない」のnextir35さんと「タレブの反脆弱性」の引用文を読んで同意する点がたくさんあり、自分の考えも書きたくなったのでブログにしてみた。

 

僕は10代後半から、不安定な世界、先の見えない世界、10年後の自分が何をしているかを想像できない世界で生きたいと思っていたが、不確実性に満ちた人生というのは本当に素晴らしいと思う。

 

学校ではたぶんこういうのって教えてくれないと思う。

だって、教える先生が不確実性とは無縁の人生を送っているから。

わからないこと

学んだことがないこと

経験したことがないことは教えられないもんね。

 

さらに言えば、生き方なんて人それぞれで答えがないものだから今の教育じゃ扱いづらいだろう。

 

自分の人生を振り返ってみると、

 

中学の頃はまだ不確実性を楽しめる感じではなかったので、高校には行きたいと全く思っていなかったけど、みんなが進学するから進学しないことに不安があった。

 

また、進学するのが当たり前かと思っていたので入れるところに進んでみたけど、勉強がやる気がない自分にとっては苦痛でしかなく、毎日しんどい思いをしてまで通うのは無駄だなと思って1年の1学期で辞めた。

 

辞めた後は、同じような高校中退や中卒の友達とどこかでたまって何てないことをしてたり、パチンコ屋に入り浸ったたりしてた。

 

ニートみたいな生活を何年か続けていたが、働くということを考えると今のままじゃ選択肢は少なすぎてまずい。やっぱり大学行った方がいいなと思って受験勉強を始めた。

 

そして、京都大学に入学してみて、

「大学を卒業する」ことは就職活動に必要なだけであって、「大学を卒業する」ことよりも「偏差値の高い大学に入る」方が人生においてはるかに評価されるということと、

同時に、それまでの学歴、例えば、どこどこの名門小学校に通おうが人生の履歴書にはあまり価値がないのかなと思ったことと(名門小学校に通ったことがないので断言はできない)、

大学に進学することだけを考えると高校に行かないほうが効率的ということと、

みんなと同じ道を歩まなくても、道をそれてしまっても大丈夫だとということを経験から知ることができた。

 

というのを言い訳にして「合格したらこっちのもんでしょ!」と言わんばかりに、大学に入学したあとは学校に行かず、先のことを考えずやりたいことばかりやりつつ、パチスロ・投資・WEBサイト作成など方法はどうであれ、仕送りをもらわず自分のお金は自分で稼いでいた。

 

といっても、この頃は意思も弱く経験も少なく、世間の価値観と自分のやりたいことの間でかなり右往左往することが多かった。

 

振り返れば、この時が一番苦しい時期だったけど、多感な時期にバックパックを背負って海外ひとり旅を経験することができたし、もともと男としゃべるより女の子との方が喋りやすく感じてた上に、ガツガツしていなくて駆け引きが大好きだったせいか異性関係にも変な自信があって、若さと勢いがあったおかげか一番楽しい時期でもあった。

 

一方、致命傷は負わなかったけど、もうこれ以上は失敗できないという人生の瀬戸際を感じるような失敗も何度か積み重ねた時期だった。

 

結婚し子供ができたあとも、まさかオーストラリアに1年2ヶ月住んで、オーストラリア滞在中に沖縄への移住を決め、帰国前に沖縄の学校と家まで確保するという人生を送るとは10年前どころか3年前の自分でも想像できなかった。

 

10代後半から、不安定な世界、先の見えない世界、10年後の自分が何をしているかを想像できない世界で生きたいと思っていた。が、

 

その思いが強かったようで、今でもまだ10年後の自分も1年後の自分もどこで何をやっているかわからないだけでなく、1年後自分がどうしてるかを自分で決められる世界で生きることができている。

 

結局何が言いたいかというと、先の読めない不確実性の中に飛び込んで生きる人生ってすごく楽しいなと。

 

もちろん、黙って突っ立てても、誰も進む道も生活の糧も用意してくれないから、精神的にかなり追い込まれることもある。

 

でも、10年後どころか1年後何が起こるか、何を楽しんでいるか分からないなんてめっちゃ自由でワクワク。

 

どこで生きているか、何をしているか、何を楽しんでいるかがわからないということは見方を変えれば、

「どこで生きていくか」

「何をするか」

「何を楽しむか」

をこれからの自分が決めていけるということ。

 

不確実な世界の中では、自分の人生のハンドルを自分で握ることができる。

 

自分が属する組織や他人や世間体に自分の人生のハンドルを握られることはない。

 

小学校に入る前の幼い頃は、人の目なんて気にせず遊びたい方法で遊んでいたのに、だんだんと人の目を気にしたり皆に合わせて遊ぶようになっていった。

 

これは、社会性を身に着けたということなんだろうけど、人の目なんか気にしなかった頃があった僕たちは、いつの間にか世間の目や評価を気にして、時には自分の感情や願望を押し殺して人生を歩むようになった。

 

ただ、僕は幼い頃のまま成長できなかったのかそれができなかった。

 

不確実な世界には、僕なんかが気付かないチャンスとワクワクがまだ山のようにあるだろう。

 

いくつになっても新しい世界で生きることができると思うとワクワクしてくるしてすごく贅沢だと思っている。

 

不確実性と聞くと、(ネガティブな意味での)リスクや危機感の方に意識が傾いちゃう人もいると思うけど、それって自分の心の持ちようというか対応の仕方次第だと思う。

 

どうせなら変化の少ない毎日より、不確実性の中からワクワクを楽しめたら、人生もうこっちのものだと思う。全部いただき!って感じ。

 

 

まあ、ひとそれぞれ価値観や生き方なんて十人十色で絶対的な正解はないので、この考えが正しいとか、反対意見が正しいとかはない。

 

世間の常識は期待値が低いと思っている僕でも、世間の評価が良い大学に行ったことは大正解だったと思っているし。

 

大学の授業を何一つまともに受けていないので何も学べ(学ば)なかったけど、利害関係のない大切な友人を得ることができたし、上には上がいて自分の能力なんて大したことがないことを彼らから学ぶことができし、世間は東大京大に行く人は勉強はできるけど自分で考える力がないと言ったりするけど、20歳そこらの時点で、彼ら以上に考える力がある人はそういないと驚きを持って知ることもできた。

 

だから、自分の子供が僕と同じように僕と同じ大学に通ったらメリットが大きいだろうなと思う部分もあるけど、自分は今、自分の子供たちを、東大や京大に行く道を断ったといえる教育環境に放り込んでいる。

 

やっぱり自分の子供には、先が見えない世界を楽しみ、1年後、自分はどこで何をして人生を楽しむかを自分で決められる人間になってくれたらなと思う。

 

学歴と両取りできたらいいけどねー。それは望み過ぎかなと(笑)

 

最終的に自分が満足できる人生を送れたらそれでいいはずなので、たとえ子供でも価値観の押し売りはしてはいけないけど、

 

世間が常識だと思ってるレールに乗るな。

まわりから「もったいない」「やめておけ」「今のままの方が絶対いい」って言われたら、その道こそが人生において大きな果実が得られる可能性がある道だってことだ。自分の心に従おう。

誰にも負けない情熱が自分にあると思うなら迷わず進め。そして楽しもう。

 

子供にはそう伝えていけたらいいな。

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